6月、アート・リンゼイのライブに行った。
学生の頃からのギターヒーローだったが、ライブに行くのは初めてだった。
というのも私が学生の頃の彼はもう目だった活動をしていなかったし、その後はじめたソロ活動には今ひとつ興味が持てなかったからだ。
ブラジルのミュージシャンのプロデュースなんかしていた頃なんて、CDを購入した事を後悔したものだった。
ところが近年の作品ではアクセント的に入れるギターノイズが、ややNO.N.Y.時代を思わせるものとなってきていた。
好きだった事を思い出しはじめていた。
しかし、ライブに足を運んだ直接の原因は、春に見た灰野敬二さんのライブだった。
急遽来日出来なくなったチャールズ・ヘイワードのピンチヒッターとして、サーストン・ムーアと競演した灰野さんは昔からの憧れだった。
彼がいたからこそ、当事の私は、音楽は生活の糧にするべき物では無い(商業的なものではない)と割りきる事が出来た。
そのライブは、そんな彼が、目の前に、孤高の存在として帰ってきた瞬間だったのだ。
その次に見た灰野敬二生誕記念祭でさらなる衝撃を受け、これまで聴いていた音楽は何だったのか、改めて確認したくなったことが今回アート・リンゼイのライブに足を運んだ原因だった。
結果わかったことは、私は、アート・リンゼイの出す音が好きだということ。極端な話をすれば、音楽でもプレイでもなく、ギターの音だけが好きだったと言うだ。
灰野敬二さんが演っている音楽とは、比べるべくもない次元のまったく違うものだった。
灰野敬二ライブで受けた衝撃は間違いじゃなかった、それを確かめる事の出来たライブだった。